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#107

YOU ARE WHAT YOU MEET !!

坦々と






だいぶ放置してしまったこのブログですが、もう読んでくださっている方もいらっしゃらないでしょう…(^◇^;)

なのでひっそりと報告です。

2015年3月29日に入籍し、5月31日に静岡県三島市の三嶋大社にて結婚式を行いました。
派手な式でもなく、また披露宴に代わるお食事会も、ほぼ親族のみでアットホームに行いました。

幼少の頃から毎年元旦に手を合わせていた神様に結婚のご報告をし、そしてこれからもきっと毎年訪れるであろう神社にて式を挙げられたことが、とても感慨深く感じられました。
これまでも、そしてこれからもこうして坦々と「生きていく」。伴侶ができ、そしてもしかしたら子供ができ、その子供が育ち、僕と嫁さんは歳をとり…
毎年毎年、ちょっとずつの変化を繰り返しながら坦々と、坦々と生きてゆきたい。そんな気持ちになった式でした。

お食事会は親族にほぼ限定したことで、自分の血のルーツの様なものを感じた時間でした。
従兄弟たちと、その伴侶や子供たちと一緒に、他人ではない繋がりを感じられる会となりました。
世の中の結婚式、披露宴には色々な形がありますが、僕らの結婚式の形はどうしたらいいのか、どうすべきなのか嫁さんと議論を重ねた結果、なんとなく自分らしいものになったのではないかと思っています。

このブログでは、自分の命が続いてゆくのかどうなのか、勿論続いてゆくというシナリオになる筈だとの思いでかつては書き続けていましたが、
幸いにも10年の時が流れ、自分の人生にも10年という時間が堆積し、色とりどりの時の地層の中に、また新しい幸せな色を重ねることができたこと、心から感謝しています。

また、のんびりした時間のスパンの中で、良い報告ができたらと思います。
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  1. 2015/09/20(日) 22:28:37|
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9年

半年に一度の定期検査も終わり。特に異常なく無事通過となりました。
主治医の話では、最後の肺の手術から9年とのこと。そりゃぁ歳もとります。
再発無しで5年過ぎたら、一先ず安心だよと言われてなんとなく目指していた5年という節目すら、既に5年前になろうとしています。
検査が終わる度に、ふっと逃病を思い起こしては、沢山の人への感謝の思いが強くなり、
そして何故か、穏やかな気持ちになっていきます。無事生きながらえるだけでなく、充実した日々を過ごせているからなんだなと、実感できます。


今日、診察の待合室で順番を待っていた時。僕の前に診察室へ入って行った若い女性とその旦那さんらしき二人がいました。
10分経っても20分経っても出て来ず、ふっと自分が初めて転移を告げられた時のことを思い出してしまいました。
今日と同じ、だれもいない診察待合室でした。
あの女性は、どんな顔をしてあの扉から出てくるのだろう。旦那さんは、どんな表情で隣に付き添うのだろう。
そんなことを考え出したら、その場にいることもできず、誰もいない待合室でオロオロと歩き回っていたら、
診察室から女性の明るい笑い声が聞こえてきて、間も無く笑顔の二人が出てきました。
どんな内容の会話がなされていたのか、どんな状況なのかはうかがい知れるわけもありませんが、
手を取り合って診察室を後にする若い二人の姿を見て少し安心しました。
女性は病院服だったので、化学療法か、手術待ちの入院か…なんにせよ、二人の未来に幸あれと願うばかりです。

そんな様に、ふっと人の心配ができるようになったのも、病から随分遠くまで逃げてこれた心の余裕からくるものなのだろうと感じました。


若くして癌を患う少年少女達に、いつか僕も何か出来たらいいなと思いつつも、慌てて見切り発射せずゆっくり考えたいと思います。
先ずは自分自信がもう少しまともな社会人にならないとお話になりませんが、修行に励みつつ心の片隅で、自分の分野からできるアプローチを模索していこうと、そんな思いになった一日でした。

  1. 2014/03/20(木) 14:52:44|
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日暮れが日の出より美しい理由

hatsuhigure.jpg
▲2014年初日暮れ

2014年。新年あけましておめでとうございます。

大晦日の昨日、伊豆の空は気持ちよく晴れ、海に沈み行く2013年最後の太陽は、
橙色から濃紺のグラデーションのかかった緞帳(どんちょう)を引きながら、いつもと同じ早さで潔く沈んでいきました。

そして今朝、これもまた同じスピードで、2014年最初の太陽が、新しい一年の幕を上げる。
地球にとってはいつもと同じ、単なる自転運動にすぎないかもしれませんが、
人はそこに希望や期待や、勿論不安も、様々な想いをのせずにはいられません。
今年は、どんな一年になるのでしょうか?楽しみですね〜^^

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  1. 2014/01/01(水) 21:32:24|
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山と雲

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2013年もあとわずか...
今年も沢山写真撮りました。データ整理はまったく追いついておらず、「後で整理する」フォルダもパンク状態で、そのまま外付ハードにぽいっと......^^;

その中でも特に、立山連峰の写真を良くとったので、久々にブログにアップしようと思います。
順番は、全然時系列になっておりまんのであしからず。
カメラは全てiPhoneです。instagramの機能でエフェクトのかかったものもあります。
愛用のGX100もさすがに駄目になってきてしまい、来年はもっといいカメラが欲しいなと検討中......
お詳しい方、是非相談に乗って下さい。
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  1. 2013/12/07(土) 12:24:53|
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走る、歩くを再考する

walk2.jpg


心境の変化

走ろう...と思ってからたった2日ですが、意外にも走るという動作に興味が戻ってくるのは早かった...^^;

2日走ってみて、その動作一つ一つに気を配りながら、

「どのタイミングで足を振り出したらいいのか?」とか、
「どこで足をついたらいいのか?」更には、
「それをするために健足の方はどのくらい跳躍するべきなのか?」等等、

改めて一つ一つに意識を集中しながら、試行錯誤することは、結構楽しいかもしれない。
新しい乗り物を手に入れて、それをどうやって上手に乗りこなすかという時の感覚に似ているかも。
もう5年くらい義足に「乗って」いますが、結構使いこなしているつもりで、まだ全然そのポテンシャルを出し切れていないのだということが、よくわかった気がするのです。

「走る」と同時に興味が湧いたのは、「歩く」という動作です。
義足でキレイに歩くとき、注意しなくてはならない点がいくつかあります。
そこを注意しなくても歩くことはできるのですが、上手な歩き方にはならない。
でもそのキレイな歩き方のポイントを意識しながら歩くのは、結構しんどかったりして、ふと気を抜くと、駄目な(?)歩き方に自然と戻ってしまう。
人の心はどんな時も、易き方向に流れてしまうものですね。
そのキレイな歩き方が、僕はできている...気がしていたのですが、時折街中で大きなガラス面の横を平行に歩くとき、
そこに写る自分の歩いている姿をみると、ちょっと理想と違うなと思うことが実は時折ありました......わかっていて知らんぷりしていたのですが^^;
どうも、義足の方を振り出すときに、腰が引けてるんです。その上で、上半身が若干前方に傾いている気がしている...。
ただ、腰を前に出して背筋を伸ばすと、若干不安定になるのです。多分その状態を感覚的に回避していたのかなと思うのですが、
この辺を、今一度意識して歩く様になったら、なんだか一歩一歩が試行錯誤の連続になってきて、もっともっと歩きたいという欲求にかられていく自分に気づきました。

改めて義足のトップアスリートの映像を探したりもしたのですが、やはり彼らの走りはとても美しい。
より速く!を追い求める過程には、動作の無駄を削ぎ落として、わずかでも多くのエネルギーを推進力に変え、前へ前へという追求があって、それは必然的に美しさにつながるんだろうなぁ。
片足の義足では、どうしても足を前に出す時、つま先が地面にあたることを警戒してしまうことと、左右の足の機構が違うのでどうしても健足の方に体が傾いてぎくしゃくしてしまう。
僕なんかが半端に走ろうと思ってやると、そのぎくしゃく感はどうしても拭えないだろうな...。ただ、トップアスリートになるとそれも感じさせないくらいスムーズです。
そこまで行くには、血のにじむ様な努力が必要なのでしょうが、遥か彼方にそういう境地もあるのだということがわかると、気持ちも全然違います。


3つ目の未知の欲求

僕にとって走るという動作は、今までは「早く走る」ことと「美しく走る」という二つの欲求から成り立っていた行為だったのですが、
与えられた今の身体で「義足という乗り物に乗る」という感覚になったとき、なんだかもう一つの欲求が湧いてきている様な気がしています。
それが、まだうまく言葉に表せないのですが、少なからず心が震える様な、不思議な感覚が胸のあたりにうごめいているんです。
速さでもなく、美しさでもなく...なんなんだろう?自分の手足と...というか、筋肉や神経と対話をする様な?
そこに、今までには無かった義足というもう一つの要素が加わったことによって、もしかしたら従来の「走る」とは似て非なる全く別の行為になっているのかもしれません。
うーん、もう少し試行錯誤を繰り返したら、もしかしたら言葉にできるかも...自信はありませんが。

こうやって、深く追求できるところがこんなにもあるのにも関わらず、
僕が書いた先日の文章(ラン、始めました)の内容は、ちょっと浅はかな部分があったなと反省...。
勿論、その時その時での正直な気持ちだったので、消さずにそのままにしておきますが、
何も追求もせずに結論を出して諦める理由にしてしまっていた自分が、愚かだったなと思います。


宜しければ誰でも、何か、批判でも意見でも、何でもぶつけて下さい。この記事が投稿されてから何年後でも構いません。
「歩く」「走る」に関しては、もう少し自分と、そして誰かと議論しながら、深めていきたいテーマだなと思いました。
まぁ...何をコメントしていいのやらという感じかもしれませんが^^;
「走る、歩くを再考する」と言っても、しばらくは筋肉や骨や神経で考えなくてはならないかな。脳みその出番はまだ先です。


しかし...一歩一歩が楽しいとなると...、つくづくおめでたい自分の性格に呆れます......(-_-;)
  1. 2013/07/15(月) 13:18:17|
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