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#107

YOU ARE WHAT YOU MEET !!

走る、歩くを再考する

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心境の変化

走ろう...と思ってからたった2日ですが、意外にも走るという動作に興味が戻ってくるのは早かった...^^;

2日走ってみて、その動作一つ一つに気を配りながら、

「どのタイミングで足を振り出したらいいのか?」とか、
「どこで足をついたらいいのか?」更には、
「それをするために健足の方はどのくらい跳躍するべきなのか?」等等、

改めて一つ一つに意識を集中しながら、試行錯誤することは、結構楽しいかもしれない。
新しい乗り物を手に入れて、それをどうやって上手に乗りこなすかという時の感覚に似ているかも。
もう5年くらい義足に「乗って」いますが、結構使いこなしているつもりで、まだ全然そのポテンシャルを出し切れていないのだということが、よくわかった気がするのです。

「走る」と同時に興味が湧いたのは、「歩く」という動作です。
義足でキレイに歩くとき、注意しなくてはならない点がいくつかあります。
そこを注意しなくても歩くことはできるのですが、上手な歩き方にはならない。
でもそのキレイな歩き方のポイントを意識しながら歩くのは、結構しんどかったりして、ふと気を抜くと、駄目な(?)歩き方に自然と戻ってしまう。
人の心はどんな時も、易き方向に流れてしまうものですね。
そのキレイな歩き方が、僕はできている...気がしていたのですが、時折街中で大きなガラス面の横を平行に歩くとき、
そこに写る自分の歩いている姿をみると、ちょっと理想と違うなと思うことが実は時折ありました......わかっていて知らんぷりしていたのですが^^;
どうも、義足の方を振り出すときに、腰が引けてるんです。その上で、上半身が若干前方に傾いている気がしている...。
ただ、腰を前に出して背筋を伸ばすと、若干不安定になるのです。多分その状態を感覚的に回避していたのかなと思うのですが、
この辺を、今一度意識して歩く様になったら、なんだか一歩一歩が試行錯誤の連続になってきて、もっともっと歩きたいという欲求にかられていく自分に気づきました。

改めて義足のトップアスリートの映像を探したりもしたのですが、やはり彼らの走りはとても美しい。
より速く!を追い求める過程には、動作の無駄を削ぎ落として、わずかでも多くのエネルギーを推進力に変え、前へ前へという追求があって、それは必然的に美しさにつながるんだろうなぁ。
片足の義足では、どうしても足を前に出す時、つま先が地面にあたることを警戒してしまうことと、左右の足の機構が違うのでどうしても健足の方に体が傾いてぎくしゃくしてしまう。
僕なんかが半端に走ろうと思ってやると、そのぎくしゃく感はどうしても拭えないだろうな...。ただ、トップアスリートになるとそれも感じさせないくらいスムーズです。
そこまで行くには、血のにじむ様な努力が必要なのでしょうが、遥か彼方にそういう境地もあるのだということがわかると、気持ちも全然違います。


3つ目の未知の欲求

僕にとって走るという動作は、今までは「早く走る」ことと「美しく走る」という二つの欲求から成り立っていた行為だったのですが、
与えられた今の身体で「義足という乗り物に乗る」という感覚になったとき、なんだかもう一つの欲求が湧いてきている様な気がしています。
それが、まだうまく言葉に表せないのですが、少なからず心が震える様な、不思議な感覚が胸のあたりにうごめいているんです。
速さでもなく、美しさでもなく...なんなんだろう?自分の手足と...というか、筋肉や神経と対話をする様な?
そこに、今までには無かった義足というもう一つの要素が加わったことによって、もしかしたら従来の「走る」とは似て非なる全く別の行為になっているのかもしれません。
うーん、もう少し試行錯誤を繰り返したら、もしかしたら言葉にできるかも...自信はありませんが。

こうやって、深く追求できるところがこんなにもあるのにも関わらず、
僕が書いた先日の文章(ラン、始めました)の内容は、ちょっと浅はかな部分があったなと反省...。
勿論、その時その時での正直な気持ちだったので、消さずにそのままにしておきますが、
何も追求もせずに結論を出して諦める理由にしてしまっていた自分が、愚かだったなと思います。


宜しければ誰でも、何か、批判でも意見でも、何でもぶつけて下さい。この記事が投稿されてから何年後でも構いません。
「歩く」「走る」に関しては、もう少し自分と、そして誰かと議論しながら、深めていきたいテーマだなと思いました。
まぁ...何をコメントしていいのやらという感じかもしれませんが^^;
「走る、歩くを再考する」と言っても、しばらくは筋肉や骨や神経で考えなくてはならないかな。脳みその出番はまだ先です。


しかし...一歩一歩が楽しいとなると...、つくづくおめでたい自分の性格に呆れます......(-_-;)
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  1. 2013/07/15(月) 13:18:17|
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ラン、始めました。

spairleg.jpg


今週は帰りが4時代という日が続いてしまった。
時間内に仕事を終えるというのは必用な能力なのでお恥ずかしいのですが、やはり提出間近は時間をかけたくなってしまいます。

で、痛感したのは、やはり体力必用ですね。
ここ数年、運動という運動はせず、昨年は結構体を使う活動が多かったのですが、今年に入ってオフィス作業が主になり、どうしても体力と反比例してお腹のお肉も勢力を増してきてしまっています。

ということで、何か運動を!と思った時に、義足では気軽にジョギングとか出来ないしな…と思った瞬間、
「そんなに言う程挑戦もしてないじゃない?」という心の声が聞こえ、そーだよねってことで早速走ってきましたー!!

今晩走ってみて(走るとはまだまだ言えない動きでしたが)思ったのは、生活用の義足でこれを毎日やったら、半年で壊れるな……という印象。
着地時に膝部分にかかる衝撃が結構あります。
ということで、押し入れから昔の義足を引っ張りだしました。明日からはこれに付け替えて走ろう。これなら壊してもいいや〜^^

義足での活動は通常の3倍の体力を使うらしい。といことは、1/3の時間で成果が出るということかな♪
ふふふ、さらばおニク!!



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幼少の頃、沼津陸上という陸上クラブに通っていた頃、監督に「美しい走りのフォーム」を叩き込まれました。
その頃から、自分の中に理想の走りの形があって、走る時はいつもそれを意識していました。
腕の振り方や、足が接地する面積、振り出した足のつま先の方向、平行移動する様なイメージの頭の高さ等等、今でもはっきりと頭の中にイメージできます。
走る際は、太陽に照らされて地面にうつった自分の影を時折走りながら確認したりして、理想の形が実現できているか、いつも追求していました。
それが、必然的に無駄な動きを少なくし、自分の持てる能力の中でより速く走るという結果に繋がって行ったと思います。

ただ、義足になって試しに走る真似をしてみた時、地面にうつる自分の影を見て、その理想との距離に愕然とし、それから走るということには全く興味を持てなくなってしまいました。
ネットで、義足のトップアスリートの走りを見た時も、僕の思い描いている理想の形はそこには無く、「義足での走り方での一番奇麗な形」というだけの様に感じてしまい、
そのときからもう、「走る」ということから目を背ける様になっていったのでした。
はっきり言って、今も純粋に走るという行為にはそれ程興味が戻って来たわけではないのだけど…でも、沢山あるやりたい事達を実現していく上で、絶対に体力は必須だ。
その実現の為に、もう一度走るという行為に向き合ってみようかと思います。その中で、少しでも興味が戻ったら、それはそれで楽しいなぁ。

今の所、「走って気持ちいい」にはほど遠く、苦行の様です。辛いのは、体力的なことではなく、やはり理想通りに走れないという部分。
ま、また嫌いになってしまったら元も子もないので、めげない様に、無理せず出来るときにやるってくらいな気持ちで続けます^^
  1. 2013/07/14(日) 00:15:39|
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涼を納れながら日本語を考える

nouryou


「涼を納れる」

 という言葉をケータイで変換しながら、「イレル」という音の持つ意味の多さに改めて日本語というものを考える。

 これは何かで読んだのか、誰かから聞いたのか忘れてしまったけど(なので正しいかどうかわからないということを事前に言い訳しておく)、
現在の日本語の元となる「大和言葉」が成熟しきる前に、大陸から漢字が伝来したことで、
その時点で存在していた音を、漢字に当てはめてしまった。
だから、「音」としてはそれ以上発展せず、よって日本語には同音異義語が多いのだそうな。

 確かに考えてみれば、50音と言えど実際は子音に5種類の母音が組み合わさっているだけだから、
純粋な「音」の数だけで言えばたったの10個しか無い(「ん」を入れると11個?)。
英語で言えばA〜Zまで26音のうち母音を除けば21個?そこにthやらshなんかが加わると、
純粋な「音」だけで日本語の2.5倍くらいあるわけだ。これに母音を掛け合わせるわけだから、音による表現の数はものすごい差だ(ちなみにヒンディーにはTの発音だけで4つあるらしい...)。

 これだけ差があるのに、表現しなくてはならない物事の数はかわらないのだから、そりゃダブルよね。
でも、日本の美は引き算にあるとすれば、音が少ないからこそ踏める韻や、同じ音だけど違う意味を組み合わせる言葉遊びである駄洒落も、
音が少ないからこそ生まれた日本語独特のユーモアかもしれない(他の言語にもあるかもしれませんがね^^;)。

 最近...というかここ10年くらいおもしろいなと思って傍観しているのは、インターネットの世界で発展している、いわゆる「2ちゃん用語」というやつ。
その発展の仕方はいろいろあるけど、その多くは「誤変換」が定着したものだったりする。
これは、ローマ字変換で日本語を打ち、変換キーで変換する時、間違ったものを選択したまま実行キーを押してしまうことにより生ずる。
それが、時折「なんかこの表現いいね」となって、一種の公用語として定着するというものだ。
有名な「萌え」も、その誤変換から生まれたというのは割と有名な話(?)。
他にも、「うぽつ」や「香具師」等、誤変換が多重に重なって形成された言葉もあり、調べれば調べる程はまってしまうのだ...

ちなみに...
うぽつは アップロードお疲れ→UP乙→うp乙→うぽつ という進化を遂げている
香具師は 奴→ヤツ→ヤシ→香具師 となり、本来の「香具師」とは全く違った意味で流通している2ちゃん用語だ

話を戻すと(汗)、これはそもそも、日本語に同音異義語が多いという言語的な性質に、ローマ字変換という行為が加わり、更にはインターネットという物理的な距離をキャンセルしてしまう技術によって、
言語の発展としては本来考えられないくらいのスピードで広まり、定着したというわけだ。
今では海外でも通じる(ニュアンスが通じてるかは微妙だけど...)というのだから驚き。

 数年前に、恵比寿の写真美術館で開催された、村上隆がコーディネートしていた「おたく展」のベネチアビエンナーレ凱旋展示を見ながら、
そんなことを考えていたな...と、ふと川に足を突っ込み青空を見上げながら思い出していましたとさ。


うーん、朝から変なこと考えたな...。頭寒足熱の逆をやったからだな。全ては、暑さのせいだ、暑さの。
しかし「おたく展」は2004年かぁ...リアルに10年前だ...
  1. 2013/07/06(土) 09:13:08|
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